字幕翻訳者 さぁのブログ

一人前の字幕翻訳者を目指す”さぁ”が、学習経過や仕事状況、日常について綴る日記ブログ。

知識・理解の壁

ブログが続かない(笑)どうも記事を書き始めるとどうでもいい気持ちになってきて筆(タイプする手)が止まり、そのまま画面を閉じるクセがあります。が、今の気持ちは絶対に記録しておいた方がいいと思うので、今日のこの記事は閉じずに最後まで書くぞ。

 

先日、自分が字幕を担当したドキュメンタリー作品について、とあるブログに書かれていたので拝読しました。結果、なかなか凹みました(笑)記事の内容は、作品自体に関する記述がほとんどだったのですが、字幕に関する指摘が1点あり、それで落ち込んでしまったのです。

 

指摘の具体的な内容は書きませんが、ざっくり言うと「訳語の選択に関する疑問・違和感」でした。私がAという言葉を訳語として使ったところ、「Bという表現をすべきだと強く思った」とその方は指摘していました。もちろん、私には私なりの「Aを選んだ理由」というのが存在します。「Bだとあまりにピンポイントなものを指すので、もう少し大枠のAという表現にしよう」と思ったのです。この例が適切かは分からないけど、「厳密に言うとグレープフルーツ(B)ではないから、柑橘系の果物(A)という表現にしよう」という感じ。

ただ、その方の記事を読む限り、Bという言葉の意味が私が思っているほどピンポイントなものではなく、「Bのようなもの」というざっくりとした使い方ができる言葉のようでした。そのことを私は全く知らなかったし、調べた限りではそうした使い方があることに気付くこともできなかったのです。

 

その記事を書いた方は、その作品で扱われた題材についてかなり詳しい方のようで、ブログ内に同じようなテーマの記事がたくさんありました。字幕を担当した私よりも、そのテーマについてたくさんの記事を読み、本を読み、ニュースを見、何よりご自身でも論じてこられた方だと思います。そうした方々の間では、Aという表現が自然に使われていたのでしょう。

 

作品については「元々このテーマに関心がある人にもない人にも、ぜひ観てほしい作品」と高評価を頂いているだけに、字幕に関してモヤッとさせてしまったことに大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

テーマに対する理解の深さで言ったら、付け焼刃的に情報を仕入れた私が、そんな人に勝てるわけがない。でもそれを言い訳にしてはいけない。そういう方々が観ても違和感を抱かないような字幕を作るのが、字幕翻訳者の仕事。

 

調べもののあり方と、受注から納品までの限られた時間の中で何に時間をかけるべきかを、改めて考えた方がいいなと強く感じました。作業中はどうしても時間に追われがちだけど、冷静に作品と向き合って作業の組み立てをすることを心掛けよう。

 

こうした指摘を目にするのは、気の小さい私にとってはすごく怖いのですが、そこから学び、自分の血肉にしていくことが大事ですよね。指摘して下さった方、ありがとうございました。

 

まだまだ課題はたくさんだけど諦めずに頑張るぞー!!